安保強行採決に見られる合意形成意思の欠如
安保強行採決まで議論は116時間費やしたそうです。確かに時間だけ見れば十分に審議を尽くしたと言えますが、では何が話し合われたかというとひたすら集団的自衛権の行使が違憲かどうかの解釈論に終始してしまったという感じです。本当はテロや強権的国家である中国やロシアの台頭といった状況の中で日本国防というものをどう考えるかの議論を深めてほしいと思っていました。確かに軍国主義の台頭はもってのほかですし、アメリカにべったりだったため、そのままベトナム戦争に参加させられた韓国のようにはなりたいとは思いません。しかし、一方で「日本は平和国家ですから侵略しないでください」と言ってもテロリストやロシア、中国など軍事力で事態を打開しようとする国々に囲まれている中で平和ボケと言われても仕方がないでしょう。
難しい「合意形成」をどのようにしたら良いかということは自分もビジネスの中で考えてきました。やはりその中で共通点が何かということをまず探すという真摯な努力が必要ではないかと思われます。議論でふつう全く正反対で全く受け入れられないなどということはまずありません。安保法制でいえば、テロや中国・ロシアの脅威というのは(おそらく)共通点ですから共通点の認識合わせをしっかりやって、ではどこが相違点なのかをじっくり話し合ってほしかったと思います。
自民党も相違点の中心である「存立危機」の部分をあいまいにしか説明して法案を通すことが目的になってしまい。野党は特にきっちりした対案を出さず、法案を廃案にすることにしか興味がありません。本来合意形成は意見が違う人々が話し合うことにより議論が深まり、より良い第3の案が見つかることに意味があります。日本の国会をみていると勝った負けたかせいぜい足して2で割るといった合意形成で、最低の結果しか出ないのは非常に残念に思います。