挑戦できない日本の大企業 -日立元会長川村氏の私の履歴書を読んで
今、日立の元会長であった川村氏が日本経済新聞で「私の履歴書」を連載しています。川村氏は一時期は衰退への道をひた走っていた知人曰く「役所のような会社」であった日立を立て直した方で尊敬する経営者の一人です。
ただ、今朝日経の私の履歴書を読んで「失われた20年」における日本の大企業の停滞の理由の一つを感じました。話は、川村氏を中心に日立として初めて発電機を自主技術、自主設計で開発、納入する話です。それまで日立はGEの技術に頼っていました。川村氏を中心に設計したのですが不具合があり、立ち上げ苦労された話です。最終的には立ち上がりましたが川村氏は始末書を書かされ、ボーナスはゼロになったようです。
私の以前担当していた企業でもあったのですが、社長は「挑戦」とはっぱをかけるのですが、その会社では超結果主義で失敗すれば即降格でした。当然新しいことをやれば成功よりも失敗の確率は高くなります。失敗した際罰せられるようでしたら当然普通の人は現状維持でうまくいっていることに乗っかることしか考えません。
このケースで、初めて自主製作・自主設計でやれば不具合が生じるのは避けられないことでこのケースのように挑戦して罰せられるのではどんどん挑戦する人は減ってくるわけです。あくまで想像ですが川村氏が名利に恬淡とされていたということもありますが、周りの人々は「よくやった」とフォローしたのではないでしょうか。80年代くらいまでは日本の大企業でも人間関係の信頼がなんとなくあり、表面的には罰しても後で面倒見てくれるようなところがあった様な気がします。つまり挑戦して失敗した場合、表面的には罰するけれど後できちんとフォローしてくれるような阿吽の呼吸がありました。
しかし、90年代から低成長の時代になると「後でフォロー」や「阿吽の呼吸」など人間関係の信頼が通用しなくなってきました。そこで成果主義だけ入れれば(たいていの企業では成果評価ではなく単なる結果評価主義でした)だれも新しいことに挑戦しなくなるわけです。
80年代から働き始めた私は多分この川村氏の逸話を理解できる最後の世代で今の若い人は理解できず「自分だったらこんな会社は辞めてやる!」と思うのではないでしょうか?