気の毒な監査の現場
今日本経済新聞で「揺れる監査」という連載がされています。そこで典型的なエピソードが挙げられています。紹介すると、以前まで特に減損(簡単にいうと評価損を出すこと)を求められておらず状況も変わっていないのに「本部の品質管理担当の判断」である外食企業に担当会計士が突然減損を要求してその社長が怒っているという話です。私は現在は企業側にいるので、突然の業績変動に対する説明責任など怒る社長の気持ちがよくわかります。一方で監査法人にもいたので担当会計士の苦衷もよくわかります。
現在特に気の毒に思うのは現場の判断がほとんどできなくなったことです。本部の品質管理の権限がどんどん強くなり現場の最高責任者である代表社員(パートナー)でさえ、意思決定ができません。したがって、顧客から判断の相談をされても「本部で検討して返答させていただきます」のような単なるメッセンジャーになっています。顧客もそのようにとらえて監査人に対する尊敬はかなり薄れています。現場に権限がなくなるのでどんどん現場は考えなくなり、ひたすらマニュアル作業をこなす死んだ魚のような眼をした監査スタッフが多くなったような気がします。
一方で画一的に定められた基準で作業と作成資料は加速度的に多くなり監査スタッフは夜遅くまで長時間働くことになりました。監査を行ったその内容を記載する監査調書の作成に加えて、品質管理に提出する審査資料の作成がほぼ2重にあり、たまに監査法人がいる仕事部屋に入っていると現場の主査(チームリーダー)はひたすらパソコンで資料作成しています。チェックする請求書の数なども膨大な数をマニュアルで要求され、顧客に文句を言われながらひたすらチェックを黙々と行っているスタッフをみると非常に気の毒です。
私も約20年前は現場主査をやっていましたが、顧客の会計処理について意見を求められた際、たいてい自分の判断で許されましたし、まれにかなり難しい判断や顧客と判断でもめた際は代表社員の判断を仰ぐことはありましたがそこで終了でした。したがって、かなり仕事に誇りを持って行うことができ、顧客にも頼りにされていた気がします。
「監査の厳格化」というのがどんどん「判断に迷ったらとりあえず損失に、判断に迷う利益は計上させない」と同義語になりつつあります。会計上の判断が経営の方向性をゆがめるといったまずい方向に行っている気がします。
私自身監査法人に所属していないので感覚的な話で暴論かもしれませんが以下のように思います。
やはり金融庁などお役所の介入を許してしまったのは大失敗でしょう。お役所の調査は書類と形式でかつ重箱の隅まで細かくです。とにかく膨大な書類と形式が求められるようになって、きわめて形式主義になってきたようです。また、世間の風潮が現場と顧客の癒着を強調するので本部の品質管理の力が強くなりすぎたことがあります。まったく顧客のビジネスを知らない人間が判断するのですからその判断はマニュアル的形式的になりがちです。その本部の判断によって顧客が怒って離れてもそれは担当会計士の責任で本部は一切責任を取られませんので厳しい判断をしておけばいいだけです。私の昔の知人は、本部の品質管理が監査法人で一番人気がある部署で悲しい風潮だと愚痴を言っていました。
すぐには解決する問題ではないですが、「会計上の判断が経営の方向性をゆがめる」といったまずい傾向はボディブローのように効いてきます。どうなるのか心配です。
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