監査人は覚悟がないか?

azusa

昨日の日本経済新聞に「監査における覚悟」というコラムが載っていました。ここで監査人に求められているものとして「会計数値の検証だけでは不十分。問題点の指摘にとどまらない具体的解決案の提示、産業構造の変革など経営者と対等に議論できる能力が監査をする側に求められる」と主張しておりもっともだと思います。そして「ルールにのっとった対応さえすればいいという思考停止から脱却し・・中略・・リスクに向き合う覚悟が求められる」と述べています。この点、このコラムの著者は現状の監査に対する問題点をよくとらえていると思います。これは私のように企業側から見た立場ではなく、実際に監査の現場で働いている若手・ベテランからもよく聞くことです。私の顧客である企業側から見ると、現場の担当者はやたらと資料を大量に要求するだけでそれを見るのに精いっぱい、監査責任者は会計処理について意見を述べず本部の品質管理部にお伺いを立てるだけのメッセンジャー、酷い場合は会計基準や理論に基づいた処理ではなく「品質管理がその会計処理はダメと言っているので修正してください」などということを平気で言います。

ただ、この根本原因は「個々の監査人が覚悟が足りない」からではないと思います。監査責任者の代表社員に聞くと寂しそうに「現場の判断はできない世界になったのですよね」と語ります。「ルールにのっとた対応さえすればいい」という対応が生まれた原因ははっきりしていると思います。「金融庁の検査」です。私は実際どのようなことをやっているのか知りませんが、お役所の検査というと想像がつくかと思います。あくまで聞いた話ではありますが、きわめて形式主義で重箱のスミをつつくような指摘が多く非常に評判が悪いです。たいていお役所の規制の傘下に入るととにかくその対応に追われて思考停止になりがちです。加えてそのため、本部の品質管理部も細かく監査手続きや判断に立ち入るようになり、現場のチームリーダーの80%の仕事はこの品質管理に提出する資料の作成でほとんど判断することはなくなりました。ガバナンスが歪んで解釈され現場から完全に判断する権限を奪ってしまったわけですから「覚悟」などはそもそも必要ありません。

例えば手術をする外科医の手続きを厚労省が後で一つ一つ検査にきたらどうなるでしょうか?おそらく患者の命を救うことよりも役所の定めた一つ一つの手続きをやっているかのチェックが多く、患者の様態による臨機応変な処理は取れなくなります。私は金融庁の傘下に入った時点で「士業としての公認会計士は死んだ」と思っています。「士業」は自己のプロ意識に基づく自己の判断ができて始めて「士業」でお役所に箸の上げ下ろしまで口出された段階でもう「士業」としては死んだわけです。役所からの圧力に弁護士会などは果敢に戦っていますがそのあたり公認会計士協会ができなかったのは非常に残念です。

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